現地は地域・行政・国が一体となって個々に復興が進んでいますが、発災当時の各災害地・被災地・島嶼部では三日三晩明かりも食べ物もなく、寒さを耐え忍んで夜を過ごしたと、被災者から多くの証言を拝聴しました。避難所となった病院では、冷蔵庫の氷で喉を潤し、柿の種を半分にしたかけらを食べて夜を過ごした等、悲惨な状況となっていたことが、南三陸町東日本大震災伝承館311メモリアル施設のVTRを視聴して実感できました。
私たち細谷・上戸祭地区は過去から現在まで災害とは無縁であると誰もが考えていますが、「いざ災害が起きたらいつ・どこに逃げるか」について日頃から住民同士で考え、自治会が地域で連携しながら、避難経路や防災拠点などの確認と知識を習得するための活動を平時より行い、整備していきたいと考えます。
宮城県石巻市の門脇小学校にて。

津波で押しつぶされた消防車の展示。

被災当時の職員室の様子。

ガレキの中で押しつぶされた消防車の状況。

VTR映像で被害状況を視聴。

津波展望台(7.8m)高台にて。

有名な看板は5年に1回建て替えられています。

気仙沼市 津波伝承館の玄関前で集合写真。

館内でボランティアから説明を受けました。

南三陸311メモリアル(南三陸町東日本大震災伝承館)にて。

「早く逃げて!」と防災無線で叫び続けた女性職員は、津波に飲み込まれてしまいました。

宿泊施設前で。ご主人・おかみさんには大変お世話になりました。
